ふたたび
長月のこと  
  
                                          


1日(火)9月に入って、暑さは残るものの、夜ごとの秋の虫のコンサートが、酣となってきた。
 蝉の声はただうるさいだけだったけれど、秋の虫たちは協調性があって、室内楽のような落ち着きがある。
彼ら、彼女らはスタミナがあって、夕暮れ時から翌朝の日が高くなるまで、ずっと歌い続けている。
 今日はマチコさんとミワコさんが来て下さり(といってもこちらからお願いしたのだけれど)2階の旦那の部屋を片づけて仏間を整えるお手伝いをしていただいた。お手伝いと言っても私はただ箒を持って、まわりをうろうろしただけ。
 流石に疲労感がのしかかってきて、縦のものを横どころか斜めにする気さえ起きない。
そのうえ、このところ買ってきたおかずによる食事が続いているため、体重が1キロ増えて体が重い。
 今日喪服を着てみたら、お腹が出てしまって、いささか慌てる。これでは楚々とした喪主は勤められそうもなく、見た人はきっと可愛げない未亡人だと思うだろう。
 最近になって気がついたことだけれど、腰痛は疲労感のある時にひどくなる。
一時良くなって、治ったものとばかり思っていたのになあ。


2日(水)朝10時に葬儀屋さんがお骨の祭壇を作りに来る。昨日ミワコさんとマチコさんが片づけてワックスで磨いてくださった旦那の部屋は、一晩だけがらんとしていたけれど、祭壇がしつらえられて、息を吹き返したよう。
 次々と配達されてくる弔電は豪華絢爛で、申し訳ない気持ちになってくる。私は今までどなたのご葬儀にもあまり弔電を差し上げたことがなかったのに。
 昼過ぎにこの間とりつけた風呂場の手すりの書類を、もう一度提出しなければならないと、介護の会社の人が来る。取り付け申請の書類より、死亡届けのほうが先に届いてしまったらしい。
 台風一過の秋晴れのつもりだったのに、なんだかどんよりとして少し冷たいものが空から落ちてくる。
 夕方4時にお通夜のため葬斎場にいく。祭壇の花は、注文通りパステルカラーの洋花で埋められ、頂いた花の立て札も立てないのが、思い通りでとてもすっきりとしてよかった。花に囲まれて、旦那は幸せそうに微笑んでいる。
 旦那の意思を尊重してこじんまりとやりたいと思っていたけれど、結果的には今夜140人の方が旦那のために祈りに来て下さった。

 私は、お料理が足りなかったらどうしよう、と気にかかっていたけれど、うまくいったようで、ほっとする。
 お料理がとても美味しかったと皆様からお褒めの言葉を頂いたので嬉しい。
私もあとから席について久々にマグロの中トロと色とりどりのお献立を堪能した。
 明日は雨の予報だとか。ひどくならなければよいけれど。


3日(木)思ったより空模様は悪くならず、なにより雨が落ちてこなかったので、ほっとする。
涙雨はこの際ご遠慮願いたい。朝10時の葬儀というのは、かなりスケジュール的にハードで、我が家からは車で20分の距離だけれど、遠くから来て下さる方には、本当に申し訳ないと思った。

 始まる前の祭壇は、華やかな分淋しい気がしたけれど、旦那ちゃまは一晩しっかりと一人でお留守番をしていてくれた。
 お棺の中には普段被っていた歩くときの帽子、彼が作詞して私が作曲した「ユトリーバに乾杯!」の楽譜のコピー、食べたくて態々リクエストしたけれど、食べることができなかったこりこりの八つ橋などを入れ、最後に、私が作った小さなお人形を顔の横にそっと、置いてあげた。
 最近はダイオキシンの問題などで、かなり煩いそうだけれど、桐ヶ谷斎場はメガネがOKだというので、掛けたまま「いい男」になって永の眠りについた。
 一番大きい骨壷だけれど、入りきらないほどのお骨でずっしりと重かったと聞いて、なんだか誇らしい。
 仕出しを頼んだ葬儀場の近くの料亭のお弁当もとても美味しかったし、花葬儀に相応しく、お帰り際に皆様がお花を持って帰ってくださったのが嬉しかった。
 すっかり終わったのが午後2時。お骨はほかほかと温かかいのに、もう口をきいてくれない。でもなにより旦那のために素敵な葬儀にすることができて、本当にうれしかった。

4日(金)
流石に疲労感が重くのしかかってくる朝を迎えた。
 朝になっても虫の声が賑やかと思ったのは、どうやら、私の耳鳴りだった。
 10時に葬儀屋さんが請求書を持ってくる約束なので、ゆっくりもしていられない。葬儀屋さんは昨日の今日請求書を持ってくることに躊躇したようだけれど、来週になったら忙しくなる息子のたっての願いだった。
 何度もお願いする業界ではないけれど、とても良心的に一生懸命仕事をして下さり、何よりも花の評判が上々だったので、このお店を選んで正解だったと思う。
 気分的にはなんとなくぼけっとした一日だったけれど、それでも郵便屋さんが書留を持ってきたり、電話が何度もかかってきたり、こちらからもお礼の電話をかけたりと、結構忙しかった。
 久し振りで街に買い出しに出かけたら、なんだか違う都会に来たみたいな気分で、夫がいないという実感はどうしても湧かない。
 夜になって、お留守だったために留守電を入れておいた夫の友人のYさんからお電話を頂く

 がっくりと気落ちしていらっしゃる様子が伝わってきて、なんだか申し訳なかった。

5日(土)なにやかやと雑事に追いまくられている間に、気がつけば、夫が旅立ってからもう一週間が過ぎた。
 今日はその日以来初めて、誰も来ない一日だった。なんだかどっと疲れが出て、矢鱈と眠い。
 亡くなった朝第一便で成城内科から届いたブーケは、今日になって急に色を失ってきて、明日あたりが限度になりそう。
 仏間にした夫の書斎は斎場から運ばれた4基の花が華やぎを見せているけれど、このところの残暑のために、昨日カトレアが1つ落ちた。花のためにその部屋だけはクーラーをつけているので、旦那ちゃんも気分よく涼しげに微笑んでいる。
 四十九日忌まで、葬儀屋さんが1週間か10日ごとにサービスで花を入れ替えてくれるというので、それまでなんとかしてこの美しい花を保たせたい。
 葬儀が終わるまでは、喪主としてしっかりとしていようと思ったけれど、不思議なことにいまだに涙が出ない。
 私ってよっぽど冷酷人間なのかしら。
 ぼちぼちと、あちらこちら思いついて電話番号が頭に入っている方に、お礼の電話をいれたけれど、驚いたことに皆様お留守。実は電話番号のノートがどこを探しても見つからず、困っているのだ。会葬者名簿は息子が持って行って調べようがない。
 手持無沙汰で、時々夫に会いに行っては、お悔やみに来られた方が教えて行ってくださった、折り紙の独楽をせっせと折り続けている。
 全く迂闊な話だけれど、今日は舅の祥月命日だったと、夜になって気がついた。


6日(日)やっとひと心地がつきかけて、今日はぼちぼちと片づけものに手をつけ始めた。
まず、山のような洗濯をし、蒲団を乾す。家を建て替えたときに、捨てようと思いながらクローゼットにしまい込んであった布団は重かった。もう余分なものは極力減らさなければいけない。思いついて、旦那が使っていた敷布団の皮をはがし、綿をちぎって分解。今は綿の打ち直しなどは不経済なので、処分することにした。
 夫の残したものは山のようにあるけれど、ためらっていたら何も捨てられず、残しておいたら将来の子供たちの負担になることは判り切っている。だからここは私の裁量にかかっている。
 これから当分、この仕事に専念しなければならない。重たい本など捨てようと思ったけれど、娘は捨てないで、という。
 結局私が捨てられるのは、服ばかり。秋に行われる町会の古着の回収には、町会一番の貢献ができそう。
 午後になってお向かいのご夫妻が、喪服姿でお悔やみに来て下さった。超簡単なワンピース姿だった私はうろたえた。


             

7日(月)なんて暑い日だったのだろう。肌を刺すような熱気に、外に出ようとして思わず後ずさりをした。
 それにしてもこの気温の急激な変化には、健康なものでさえダメージを受けるのだから、こんな日を待たずに夫が逝ったのは彼のためによかったような気がする。
 まだぼちぼちと弔問客がおいでになるし、花のことが心配で祭壇の部屋だけはクーラーを点けっ放しにしている。
だから時々涼みに入って、旦那との会話を楽しんでいる。
 皆様が、ご主人が見ていてくださるから、と慰めてくださるけれど、どこで何をしていても旦那が見ていては私は困るのだわ。
 午後になってデイホームに行き、この間弔問に見えたHさんが教えてくださった折り紙の独楽を人数分持って行った。
 手持無沙汰にしていたテーブルに行って、折り方を教えてあげているうちに15分時間が超過してしまった。さて、始めようと思ったら、眼鏡ケースが空っぽ!だから今日のコーラスは楽譜が見えにくく、四苦八苦だった。
 帰りに思いついて炎天下を環八に出て、出張所に行きバスのカードを更新。時間の束縛から解放されたのだから、一段落したらバスの一人旅で、23区を網羅するつもり。帰ったらお隣の若奥さまがお悔やみに来て下さった。
 夫と同い年の奥様が、夫より6か月早くしかも同じ病いで亡くなったのは、仲がよかった二人の不思議な因縁のようなものを感じる。


8日(火)とにかくめったらやたらと眠い。リビングの、いままで旦那に占領されていた寝椅子を思いっきり倒して、午後は完全に昼寝。
 どうでもいい2時間ドラマの筋を、朦朧とした気分ででとぎれとぎれに追いながら、夢を見ていた。
 どこかの湖で遊覧船に乗って、ああ、あと2、3日したら旦那が帰ってきちゃう。私の自由時間もそれまでだわ、と思って、はっと、ああもう帰ってこないんだ、とこれも夢の中で気がついた。
 夕方になって、夜のおかずがなにもないことを思い出して、やってきた娘に、「買ってきて」と頼んだら、「服を着替えて、自分で買ってきなさい」、とすげないお返事。
 そういえば今日は玄関から一歩も出ていない。そこで、言いつけどおりにすこしおしゃれをして、自由が丘に降りて行った。
 自然に足が向いてAURAのカクマツさんの所に、旦那が逝ってしまった報告に行く。1時間ばかりおしゃべりをしている間に、周りの店がシャッターを下ろし始めたので、閉店間際になって、目について気になっていたカカオ色のロングのワンピースを、たわむれに試着したらピッタリ。この際気分を変えなきゃと勝手な論理で、お金が足りないので手付金を置いてくる。

 お悔やみにいらした皆様が、旦那様がいつも見ていてくださるから、と慰めてくださるけれど、これって少々困る。
 もしそうだったら、今日もまた無駄遣いして、と渋面を作っているに違いない。


9日(水)ほんとうならば、今日あたりはユトリーバ例会の日。7年目にして、初めて欠番を出してしまった。
 でもいくらわたしが頑固でも、流石に今月はやるわけにはいかない。
 それにしてもなんて暇なんだろう。暇だから眠くなる。そのうえに旦那の葬儀が終わってから、膝が痛くて歩行困難ときている。
 このところ一日中見ていないテレビをつけっぱなして、ガーガーと寝ていることが多い。
 今日もそのパターン。これではならじと、蒲団の整理を始めた。蒲団の押し入れには使わないタオルケットや毛布がひしめきあっているので、思い切ってこれを捨てることにした。
 旦那は整理の行き届いた人で、自分のものはきちんと収納しているけれど、リタイアしてからはほとんどスーツは着ず、ネクタイも締めるのを嫌っていたので、新品同様のものがいっぱいある。
 これを始末するのが私に課せられた使命なのだ。ああ、寝てなんぞいられないわ、と言いながらまた昼寝。


10日(木)朝、娘がやってきて今日ひま?と聞く。忙しい訳がない。ほっときゃ一日中寝椅子で寝ていても一向に差し支えない身分なのだ。
 お昼に自由が丘の新しく出来たショッピングゾーンにトマトを食べに行こう、というので、喜んで誘いに乗った。
 レストランは超満員で行列ができていたけれど、出かける前に予約を入れておいたので、すぐに入れた。トマトのサラダとトマトのリゾット、どちらもとても美味しい。
 今日は朝のうちにクローゼットを片づけて、旦那のスーツをひとまとめにしたのだけれど、ハンガーが折れなくてペンチを使っていて、指を挟んだ。これって絶対旦那が怒っているんだわ、と思い、血豆を見ながら、ごめんね、と言っておく。
 作業をやりながら次第に元気がでてくるのを感じて、それがトマトのランチですっかり仕上がった。
 考えると涙が出そうになるので、悲しみの思いはぴっちりと蓋をしておいて、淡々と片づける。
 旦那のものは私が片づけて、私のものは子供たちに片づけてもらうことにすればいいんだわ。
 おととい頼んでおいたドレスを取りに行って、これに合う靴がないことに気がついたので、看護師ステーションに振り込みをした残金で、靴を一足買う。
 旦那が逝って2週間目にしてこんなことをやっている私って、やっぱりどこか変。
 帰ったら留守の間に電話がじゃんじゃん掛かっていたらしい。ナンバーディスプレイの番号はいずれも地元。
 電話があったのは、葬儀屋さんと花屋さんだった。6時に葬儀屋さんが祭壇の花を入れ替えに来てくれて、もう一件の花屋さんからもカクマツさんからの花束が届いた。その花屋さんの前を通って、カクマツさんんの所に行っていたのに。

11日(金)朝夕だいぶ涼しくなったとはいえ、日中はまだまだ夏が居座っている。
 今頃になって、1年3か月の看病疲れが出てきた感じで、朝起きたときにすぐに寝たくなるのは困ったもの。
 今日は朝まったく食欲がないので、ミカンジュースにノニジュースを入れて、朝食とした。
 第2金曜日は不燃ごみの回収があるので、食器戸棚の中でかなり場所を取っていたカレー皿をまとめて捨てる。

 なんだかやけになっている感じで、せっせと物を捨てていて、時々いいのかな?と思うけれど、弾みのついた気持ちは止まらない。
 だいたい私はものを減らしたい人間なのに、旦那は私が捨てたものをすぐに拾ってしまって、何十年とストレスがたまっていたのだ。
 ご主人が亡くなった方は皆様、おつれあいのものが捨てられないとおっしゃるけれど、私は旦那のものは心にいっぱい詰まっているので、それで充分だと思っている(なんだかかっこいいこと言っちゃったな)。
 午後になって酸素やさんが、やっと酸素の機械を引き取りに来てくれた。見るたびに切なかったものが取り払われて、ほっとする。
 このところ膝が痛んで、ついに家の中で杖をついた。でも、外で杖を突きたくないので、今日は一歩も出ない。

12日(土)昨日から腹を立てていることがある。旦那が生前楽しんでいた高等学校の同窓会でやっている会のことだけれど、去年の入院中にそこの幹事さんから電話で、この先どうするのか、と問い合わせの電話があった。
 もしこのまま籍を置くならお金を払っていただきたい、ということだった。旦那に話したら、ちょっとショックだったようで、もう出られないから退会届を出してほしい、という。
 その会の中心的な存在であったこともある夫の心情を思って、すぐに退会届を出したのだけれど、昨日その方からまた電話で、「会報が余ったから送ります」という。余ったから送るというのも変な話だけれど、「実は亡くなりまして」、と言ったら、

 「え?何年何月何日にですか?死因は?」と聞かれた。
そういう挨拶ってないんじゃないの?記憶違いでなかったら、旦那から、彼はかつて高級官僚だったと聞いたような覚えがある。
 あまり気が合う人ではなかったと言っていたから、心の中で万歳!なんて……。
 今日一日天気予報通りの雨が時折激しく降る。花の水が枯れているのが気になっていたので、恵みの雨だった。
 今日やっと8月の日記の更新。
 体調を崩して、刺激物が食べられなくなっていた夫を思って、ずいぶん長くカレーを作らなかっので、久々にカレーを作ったら美味しかった。


13日(日)秋の気配が濃厚となって…と言いたいところだけれど、今日になってまた暑さがぶり返してきた。
 しぶとい夏だこと!こういう優柔不断さが私を夏ぎらいにさせていることに気がつかないのかしら?
体調がすぐれないのは、看病疲れもあるけれど、夏中クーラー漬けになっていたことのお返しで、こういうのを「秋ばて」というとテレビで知った。
 近くの神社は今日お祭りで、本来なら御神輿を追いかけて歩くのだけれど、喪中なので遠慮している。

 昨日お寺から経本が12冊送られてきた。これは葬儀のお代をお渡しする時に、息子が少しばかりの寄進をしたことのお返しとのこと。でも不信心の私たちは、いささか当惑気味。私の親族にも、どう見渡してもお経を読むなんて信心深い人間がいない。
 祭壇の脇に積み上げて、<あなた読みなさい>と、旦那に言っている。
 娘が入ってきて、まっしぐらに祭壇の部屋に入って行ったかと思うと、高らかにリンが鳴った。暫くして降りてきた娘、「飾ってあったお供えのお菓子を一個頂こうかと思ったら、お菓子じゃなかった」、だと。
 私たちはいずれお閻魔様に行く先を振り分けられるとき、旦那に会えるのかしらね。

                              

14日(月)旦那の部屋を片づけていて、ふと気がついた。旦那は整理のいい人で、全てがきちんとしていた。
 だから片づけなければいけないのは、私のものばかり。四十九日忌までに仏間をきちんと作ろうと思ってのことだけれど、やっぱり旦那のものを捨てようと思うと、胸が痛い。目下の私の大きな課題だ。
 今朝、高校の友人のシミズアツコさんの息子さんから、母が昨日亡くなりました、と電話があった。
 もう何十年も会っていない人だけれど、子どもが幼い頃近くに住んだことがあったというだけのご縁。近年は年賀状のやり取りも滞りがちだったのは、癌を病んでいらした故と改めて知った。
 クラス会の永久幹事さんに電話でお知らせする。
 あまりお友達をつくらなかった人と記憶しているので、お別れに行ってあげようと思う。
 デイホームは今日から秋の歌に入った。村祭り、紅葉、小さい秋みつけた、旅愁……秋の歌っていいな。

15日(火)夕べから体調がすぐれず、朝から食欲がまったく起きないので、だらだらと過ごす。
 朝昔の生徒のアヤチャンのお母様からお供えの虎屋の羊羹、午後になって旦那の敬愛するお友達のヤマノウチさんとナカムラ夫人から胡蝶蘭の鉢が届いた。そろそろすこし華やかな花を飾ろうと思っていたので、祭壇が賑やかになって嬉しい。
 4時まで寝椅子でぐだぐだとし、旧友のアツコさんのお通夜に行く。京浜急行に乗って横浜から西に行くのは久しぶりだった。
 一人の積りがクラス会の幹事のハッチャンとイシダさんが見えて、帰りに斎場の隣のジョナサンに寄り、旧交を温め、それはそれで楽しかった。
 イシダさんは5年前から肺塞栓症で酸素ボンベを引っ張りながらの出席。ご主人とご両親を見送った時のことを雄弁に語り、一番元気。
 雨の中を七里ガ浜まで車を運転して帰っていった。
 何年も合わなかったアツコさんの遺影は、すっかり細くなって、病気になってからの写真かな?と思う。
 ふっくらとして可愛い人だったのに、癌にはやっぱり勝てないんだ。
 久しぶりに電車に乗って、それがめったに乗らない京浜急行だったので、ちょっと旅行気分になった。


16日
(水)アツコさんには悪いけれど、昨日お通夜に行って、外の空気に触れたために、活力が戻ったような気がする。
 今日は朝から花の整理をして、祭壇の花の弱ったのを捨てて、ゴミがいっぱい出たので、久しぶりに丁寧に家じゅうに掃除機をかけた。

 お昼前、昨日の留守の間に何度もナンバーディスプレイに記録されていた証券会社のイケメン君が現れた。
 黒いスーツを着ているので、てっきり弔問かと思ったけれど、旦那が亡くなったことを知らずの訪問だった。
 証券関係のことは私の知識外のことなので、息子に連絡してもらうことにし、ちょっと悪い冗談を言ってしまう。
 「私をだまそうと思ったら今よ」
 「そんなことするつもりはありません」
 「冗談よ」
 「はい、わかってます」
 息子に言わせると、<外見はちょっと悪っぽいけど、正直なやつなんだよな>
 いずれにしても食いっぱぐれたらホストに向いている人。
 午後になってお向かいのKさんがお悔やみにいらした。2週間北海道に船旅をしていらしたとか。うらやましいお話。
 夕方になってミノ夫妻が差し入れにお菓子と果物を持ってきてくれる。
 夜は冷蔵庫にあった豚肉で冷シャブを作って一人の饗宴。
 今日も一日中家から出なかったけれど、たっぷりと人様の温情を頂いていい日だった。


17日(木)今日はもう三七日忌。あっという間に時がながれていく、音をたてて……。
 冷蔵庫をかき回して、そろそろ野菜の買い出しに行かねば、と思った。
 私らしくなく感心なことに、冷蔵庫の中がガラガラ。こういう時こそ気をつけねば、またもとの黙阿弥になる。
 いろいろなものを整理していて、ふっと気がついたことがある。「捨てる」という言葉は一日に何べんも目にしたり聞いたりするけれど、「拾う」という字は最近目にしなくなった。
 テレビのゴミ屋敷のニュースぐらいでしか気がつかない。
 これって富める国の象徴ということなんだろうな。消費は美徳なんて言った人がいたっけ。
 ネパールに行くと、何の気なしに捨てたものが、ホテルのごみ箱から皆拾われていくし、少し前の社会主義の国のホテルでも、旅の終わりにスリッパを捨てて、もう一度部屋に入ったら、私の捨てたスリッパは、メイドさんの胸にしっかりと抱き抱えられていた。
 ベルリンの壁が破られた後だから、そう昔のことではない。それにしても私の捨て魔症候群はいよいよ輝きを増している。
 この1週間の間にどれだけのものがゴミ回収車に吸い込まれて行ったことか。
 午後から美容院に行ってカット、葬儀の際に頂いた花の弔電のお礼をいう。
 帰ったら葬儀屋さんから電話があって、間もなく祭壇の花の2回目の取り換えに来てくれた。
 先週の百合と、ピンクと白のポットマムがまだピンピンしているので捨てるに忍びなく、大急ぎで30本ぐらいをラリックの花瓶に移した。葬儀屋さん曰く、「このサービスをしているので、お店のリピーターが多いんです」。
 息子は「きっと葬式に使ったものの使い回しだよ」という。なるほど合理的なお話だわ。
 ちなみにラリックの花瓶に花を差したのは初めて。若いころ旦那が<買ってもいいかなあ?>と言って、1ケ月分の給料をつぎ込んで三越で買った我が家のささやかな宝もの。水を入れたら持ち上がらないほどの重さだった。

18日(金)今日は一日中娘夫婦の扶養家族だった。
 お昼に旦那殿が吉野家の牛丼を持って現れる。

 牛丼を食べたのは2回目。1回目は息子が買ってきた。ひとりになると今まで知らなかった世界が開ける。
 午後になって、「花工場」に車で連れて行ってもらい、プランターに植える花をしこたま買って帰ってきたら、御近所の奥さまを見かけたので、夫が亡くなりまして、とご挨拶。夕暮れになって街に降りて晩の買い物をして帰ってきたら、ちょっとの留守の間に、奥様と若奥様が弔問においでになったという。
 まだまだ、家を空けることが出来ない。食事時のこともあって、あわてて電話でお礼をいう。
 夜8時半になって、娘がスーパー銭湯にいこうと誘いにきた。もちろん二つ返事。
 多摩川沿いの丘の上のお風呂の気持ちよかったこと!深夜12時に帰ったら腰痛が軽くなっていて、今夜は気持ちよく寝られそう。
 とってもいい日だった。帰ってからしばらく、旦那のお骨と向き合っていたけれど、何言ったって返事をしてくれないので、アホらしくなって、それではおやすみなさい、と言って、パチンと電気を消してやった。
 一人の生活がすこしずつ身についてきたのは、繰り返していた入院のお蔭。毎回旦那が入院して2日は淋しかったけれど、しばらくすると一人で時間を操れる快適さがとても楽チンに感じられたのだ。私ってつくづく意地っ張り。
 涙が出そうになると、快適、快適!と自分に言い聞かせて飲み込んでしまう。

19日(土)
今日はお客様デーだった。11時過ぎにチャイムが鳴ったので出たら、ご町内の奥さまだった。実はこの方には知らせたくなかったというのが本音。なんたって情報通で、捕まったらちょっとやそっとでは解放してくれない。
 お悔やみに来て下さったのは、昨日いらした奥様から知らせを受けて、ということだったけれど、それはありがたいことと思いながらも、いささか当惑気味だった。今日も案の定、お帰りになったのが午後2時半。
その間お悔やみは2分ぐらいであと延々と祭壇の前でご町内のことを止めどなく喋る。今日私はおひるご飯抜きとなった。
 段々と気が気でなくなったのは、3時にいらっしゃる方があったのだ。明日になったらそこいらじゅうに我が家のことが広まるだろうな、と3時間後にお帰りになるのを見送りながら、ぼんやりと考える。
 深々と頭を下げてお送りしたのは、だからいろいろな意味があった。
 続いていらしたのが、地元の建築会社の女社長さんと息子さん、それに我が家の建築を担当してくださった方の3人で、これは30分ほど、お急ぎのご様子を引きとめて、鳥がさえずっているようなきれいな朗らかな社長さんの声は楽しく、しばしの旧交を温めた。
 夜はもう外に買い出しに行く元気もなく、顔をだした息子とインスタント坦々麺の簡単な夕食をして、あとは10時まで、寝椅子でぐったり。花に囲まれた旦那だけが、ひとりご機嫌な顔をしている。

20日(日)どうやら体調のパターンが、一日交代になっていることに気がついた。昨日の接客の疲れかもしれないけれど、今日の午前中は全く元気が出なかった。それでも3食はしっかりと食べて、あとはぐうたらしているのだから、体が重いこと。
 これではならじとエンジンを無理やり始動させたのが午後3時。以前から気になっていた、出窓の下の収納を片づけて、ぐちゃぐちゃに絡まっている楽器のコードをやっとのことでほぐして、ダンボールに詰めこんだ。これは私のじゃない。息子が放りっぱなしにしていたもの。
 全部ひっぱり出したら、散々探していた譜面台のカバーが3個出てきた。大事そうな様相の袋を開いたら、あちこちで拾ってきた世界中のまつぼっくりがぎっしり詰まっていて、一旦ゴミ袋に放り込んだけれど、思い直してまた拾い、出窓に並べた。
 これはオーストリアの村、あ、これはスイス、20p以上ある思いっきり大きいのは、ネパールでケントスクールの音楽の教師として通っていた時に、朝道端で見つけて、夕方まで草むらに隠しておいたものだったっけ、と、思い出が走馬灯のように駆け巡った。
 段々勢いづいてきて、今度は台所脇のパントリーの中を大清掃。いつか使うだろうと置いてあった瀬戸物類は、高級品でないし、愛着もない物なので、思い切って捨てることにする。
ついでに乾物類の古いのを見たら、全部消費期限切れ。
 3年前なんてものもある。今日の収穫は70リットル用のゴミ袋4個。
 大分涼しくなったとはいえ、ちょっと動くと汗をかく。汗の出た分痩せればいいけど。
 段々と元気が出てきて、N響アワーでベートーヴェンのピアノコンチェルトを聴いた頃には、すっかり体調が戻ってきた。
 今日のピアノは楽しかったな。モーツアルトの毅然とした音楽は、背筋が伸びるけれど、ベートーヴェンは背筋を伸ばして呉れた上に、元気をつけてくれる。ピアニストがハンサムだったから尚のことよかった(名前は忘れた)。ふと、音楽会に行きたい、と思う。
 もう2年もコンサートに行っていない。

                                

21日(月)忙しさにまぎれて今日がなんで4連休なのか知らなかった。
シルバーウイークと聞いて、敬老の日もあることだし、なるほど、最近批判の矢表に立たされている後期高齢者に対する配慮かと思ったらそうではなくて、5月のゴールデンウイークに対してのシルバーなんだそうだ。
しかもたまたま偶然に今年の休日操作ができたので、来年はないんだって。
 まあ、毎日が日曜日のわたしにとっては、なんの意味もない。
 今日は月曜日なので、デイホームに行く日でもある。お給料をもらっているスタッフは、交替でお休みをとるけれど、私はボランティアなので、予定通りに行く。参加している利用者さんも皆出席。

今日も気持ちよく歌ってきた。
 夕方になって買い物に出たら、秋の気配の濃くなった遊歩道は人でいっぱいだった。
 よくみると一人の人が多い。ベンチを独り占めにして足を投げ出して本を読んでいる人、かっこよかった。今度私もやってみようかしら。
 遊歩道の花屋で黄色いバラを3束買った。もう白っぽい花は旦那には似合わないので。


22日(火)今までとそんなに変わらない生活なのに、旦那がいないという空虚感が、私を腑抜けにさせている。
 今のところは能動的に動いていないせいもあるけれど、ふっと、このままでいたら私は抜け殻になってしまいそう、と思う。
 10月になって四十九日忌が済んだら、自分を無理にでも変える必要がありそう。
 旦那に「お外様」と言わせてしまったような自分の今までの生活が、果たして戻せるかしら?
 今さら稼ぎに出るわけにもいかないから、もっとボランティアの仕事を増やすのが、当面の目標だ。
 今日は花の水やりをして、リビングの棚の中を整理して、時々居眠りして……と老人ホームのような一日だったので、これではならじと夜ごはんをしっかりと作った。
 留守にしている隣の娘に、猫のご飯を頼まれていたのを思い出し、暗くなってから行ったら、餌がどこにあるのかわからない。
 お義母様のところに行っている娘にメールを入れて、返事を待っていても、一向に返ってこない。
 ふと見たら、キッチンの流しがいっぱいなので、思わず手を出して洗い物を片付けた。
でも、これがお嫁さんだったら、やってはいけないことなんだろうな。娘にだって怒られそう!
 夕方ポストを覗いたら、黄色い封筒で旦那宛に1冊の本が送られてきた。旦那のお友達のTP印刷のもと社長さんのSさんからだ。イギリスにいらして撮ってきた写真がびっしり詰まった美しい本だけれど、なんてお返事をしたらいいのか、考えてしまう。知らん顔も出来ないし、亡くなったことも知らせていないし……。今週中にはお礼状を書かねば。ちょっぴり気が重い。



23日(水)うっすらと日の差すほど良い曇りの空が広がって、今日は凌ぎやすい。空も秋らしく高くなって、秋分の日に相応しいお天気だ。
 朝起きたらなんだか体の節々が痛い。あれ?昨日何やったっけ?そうだ、思い出した。
 今日はリサイクルの回収日なので、夕べのうちに山のような段ボールと新聞、それに空壜をしこたま洗ったんだった。
 新聞紙は8時の回収なので、急がなければ、と慌てて顔を洗う。
 集積場に運んだとたんに、トラックがやってきて、滑り込みセーフ。
 そのまま郵便局に行って、もう一つの振り込みをする。
 今日はなんだかやけに暑い一日で、昨日までピンとしていたバラが、皆首を垂れてしまった。
 毎週木曜日は、葬儀屋さんが花を取り換えに来るので、帰ってから祭壇の籠の中の、まだ保ちそうなのを寄り分けておいたら、今日は来なかった。
 きっとお葬式がなかったのだわ。お葬式の時の使い回しだろう、という息子の勘がみごと当たったみたい。
 暦を見たら明日は友引なので、お葬式もないと思う。だからあしたもきっと花の交換にこないだろうな。


25日
(金)朝葬儀屋さんから電話で、これからお花の交換に伺います、と電話。でも今日は旦那の学校の集まりに行く約束なので夕方にしてもらう。
 来ないと思っていたのに、もしかしたらキリスト教の葬儀があったのかもしれない。
 今日の集まりは、恒例の田園調布の「平八」で久々の鰻だから、なんとしても行く。
 旦那がお世話になったお礼に、新潟から取り寄せたお菓子を人数分持って行ったら、皆様旦那が亡くなったことを知らず、びっくりされる。今回が最後の例会と聞いて、ちょっと淋しかった。
 帰りに電車を降りず、そのまま洗足のキョウコさんのお宅に、何回もお見舞いに来ていただいたお礼に伺い、1時間ばかりおしゃべりしてから、花屋さんと約束していた5時に合わせて急いで帰った。 それにしても今日の肩こりは酷い。
 お昼に鰻を食べたので、夜は食欲がないまま、インスタントのカボチャのスープと、トーストに、ブロッコリーだけ食べて終わりにした。
 昨夜よく眠れなかったのが、障ったのかしら?でも今日も薬は飲まないで寝ることにしよう。

26日(土)高脂血症の薬が切れたので、シミズ先生の所に頂きに行って、昨日から肩こりがひどくて、と言ったら、先生は「注射が一番、すぐに治っちゃうよ」、とすぐに支度を始めた。
打ち終わって「もう治った?」と聞かれたけれど、一向に良くならない。
 それどころか、帰ってから今度は肘から手首が猛然と痛くなった。この痛みは夜になっても治まらず、今までで一番痛みが激しい。
 「うそつき」と呟いてみたけれど、どうなるものでもなく、先生がそんなもの絶対に効かないよ、と言ったエレキバンをべたべたと貼った。
 旦那はこの世からとてもきれいな去り方をして行った、と皆様に褒められ、私もそう思うのだけれど、私にはあちこちの痛みを置き土産にして行ってくれた。

 まさか取っておくわけにもいかないので、新聞紙に包んで燃えるゴミに出してしまった、モルヒネのパッチがちらちらと目に浮かぶ。あれだったら、この痛みは消えただろうに。
 夕方、キョウコさんが、昨日お約束したお風呂で使う椅子を取りに見えて、しばらくお喋りをしてから、一緒にお使いに出て魚屋さんでブリ大根、刺身、シャケなどを買って帰る。

27日(日)早いもので旦那が逝ってから5週目に入った。つい昨日のことのような気がするのに。
昨日から今までにない腕の痛みが時々走る。そういえば40肩というものも更年期も経験がなかった私にとっては、まったくの初体験だし青天の霹靂としかいいようがない。
 塗り薬も痛みどめ錠剤も効かないというのは、実に腹立たしい。
これが40肩というものだったら、これを経験した世間の人たちはなんて我慢強いんだろう。
何年も前に、肩が痛くてねえ、と言っていたハルコさんの顔が浮かんでくる。
今日はなんだか賑やか。ご近所の日曜大工の好きなご主人の、「やりたい虫」が活動を始めたらしい。私の部屋の中は完全に物置状態で、どこから手を付けていいかわからないまま。

         


28日(月)生まれて初めての腕の痛みに、身の置き所がない。それでも月曜日はゴミの日なので、痛む腕をさすりながら、家じゅうに散らばったゴミを集めてまわる。
 流石の私ももうギブアップとなって、一大決心をし、デイホームから帰ってから、かねて目にとめていた整体の診療所に行った。
 ここはこの間、ご近所の奥さまに評判がいいと聞いて、頭にインプットしていたところ。
 図解入りで説明されて、なるほどと思う。頭骨から太い神経が手の先まで走っていて、そこから来る痛みらしい。
 当分暇だなんて言っていられなくなりそうで、それはそれとして、私にとっては一つのお仕事ができたという意味で喜ぶべきこと。荷物は持たないように、首を後ろにそらしたりあまり左右を見ないように、とちょっと無理な注文を頂いて帰った。治療に当分かかりそう。
荷物を持たないように、と言われたことを一瞬忘れて、里芋、さんま、いか、こんにゃく、パン…などなど、重たい物ばかり買ってよっこらしょと帰った。夜まで痛みは付きまとっている。






                                               
 
                                             

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